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大阪家庭裁判所 昭和47年(家)187号 審判 1973年10月19日

申立人 横田雪子(仮名)

相手方 安川多喜雄(仮名)

事件本人 安川幸男(仮名) 昭四〇・九・八生

外一名

主文

一  事件本人両名の監護者として申立人を指定する。

二  相手方は申立人に対し事件本人両名の養育料として金八万八〇〇〇円を昭和四八年一〇月三一日までに、及び昭和四八年一〇月一日以降毎月一万七〇〇〇円あてを毎月末日までにそれぞれ支払え。

理由

一  申立人は、主文第一項と同旨及び相手方に対し事件本人両名の昭和四八年二月一日以降の養育費として相当額の金員の支払を求めた。

二  本件の調査結果によると、下記の事情が認められる。

(1)  申立人と相手方とは、昭和四〇年二月頃から結婚生活に入り、同年八月六日婚姻の届出をすまし、同年九月八日事件本人幸男(長男)が、昭和四二年一月四日事件本人美津(長女)が各出生したが、昭和四五年七月頃から相手方は外泊することが多くなり、小松こと串田とし子との交際を深めて行き、昭和四六年六月頃申立人に対し性格が合わないからと言つて離婚話を持出して、事あるごとに繰返して要求してきたため、申立人は不承不承ながら離婚を承諾する羽目になつてしまつた。そして、事件本人両名の養育については、申立人の方では扶養するだけの経済的な能力がないというので、相手方の方で養育することにして、申立人と相手方とは、事件本人両名の親権者を相手方と定めて、昭和四六年七月一九日協議離婚の届出をなした。

(2)  しかし、離婚後も申立人が事件本人両名を養育していたところ、昭和四六年八月五日相手方は吹田市所在の大阪府吹田児童相談所に出掛け、「離婚後相手方が事件本人両名を引取り親戚で養育してもらつていたが引越のためこれができなくなり、申立人も行方不明であり、相手方自身働きに出ることができなくなつて困つているから両名を施設に収容してほしい」旨の相談をなした。措置のための調査の過程において、申立人が摂津市福祉事務所に対し生活保護法による保護の申請をなしていることが判明し、しかも申立人は事件本人両名を養育したいという意向であつた。そこで、同年八月一四日同児童相談所の措置によつて、今後事件本人両名を申立人が養育することにきまり、同日相手方は事件本人両名を同児童相談所に連れてきて預け、即日同児童相談所は事件本人両名を申立人に引渡した。ただ養育費の件は難行し、この二、三日後に結局施設収容の場合に保護者の負担すべき金額を参考にして出された金六、〇〇〇円を相手方が事件本人両名の養育費として負担し、これを上記福祉事務所あてに送金寄託するということで落着した。

(3)  その後も申立人は引続き事件本人両名を養育してきたが、その生活は申立人の内職収入と上記のような相手方からの送金並びに生活保護法による生活扶助費の受給(昭和四六年八月六日保護開始)によつてこれを立ててきた。しかし、生活保護を受けるのは本意ではないとして、申立人は、昭和四六年一〇月一五日大阪家庭裁判所に対し安川多喜雄を相手方として子の監護に関する処分、養育費請求の調停(当庁昭和四六年(家イ)第三三一一・三三一二号事件)及び慰藉料(財産分与)の調停(当庁昭和四六年(家イ)第三三一三号事件)を申立てた。

両事件については、事前調査を終えたのち、昭和四六年一二月一八日から昭和四七年一月二五日まで都合三回にわたつて調停が行われたが、相手方が養育費の増額を拒否して事件本人両名を引取りたい旨強く主張し、両者の間で合意の成立する見込がないことが判明したため、前者の事件は不成立となり、本件審判手続に移行した。なお、後者の事件はその後も本件審判手続の過程で和解がすすめられたが、見込がないため昭和四八年九月二七日調停不成立として別件審判手続(同庁昭和四八年(家)第二四〇三号)に移行した。

(4)  ところで、事件本人幸男は、昭和四七年四月学齢に達したが弱視のため盲学校に入学することになり、申立人の都合で入学手続が遅れ、ようやく同月七月から○○市立盲学校に入学することができ、寄宿舎に入り申立人らと別居して生活を始めた。そして、土曜、日曜にかけては帰宅して申立人のもとで過し、また夏、冬、春の休暇の場合も同様に申立人のもとで生活してきた。学校での保護者には申立人がなつており、相手方は保証人となつている。学校関係の費用(学校給食費、交通費、寄宿舎居住費など)は、就学奨励費(毎月約九、〇〇〇円)の受給などによつてほぼまかなわれている。

申立人自身、生活保護を受けていると日常生活上手続等で不便だからといつて保護辞退届を提出したので、昭和四八年二月一日から生活保護が廃止された。それでこの後の生活費は、相手方からの上記のような送金並びに申立人の内職収入及び知人からの借金などによつて補つてきたが、しかし、生活はかなり苦しい模様であつた。事件本人美津は保育所を終了して昭和四八年四月小学校に入学した。小学校の費用として、毎月給食費約一、二〇〇円、教材費等約一、〇〇〇円を支出している。申立人らの具体的な生活費の収入支出については、詳らかでないが、現在の家賃は月三、〇〇〇円であり、また生活保護辞退後の内職収入は六、〇〇〇円から七、〇〇〇円程度であつたというし、なお、昭和四八年九月から働きに出て約二万円から二万五、〇〇〇円位の収入をうることができるという。

(5)  相手方は、申立人と離婚後串田とし子方に居住し、昭和四七年四月頃から内縁関係に入つたということである。同居家族は、相手方、内妻とし子(三八歳)、同人の先夫との間の子三名(長女一九歳、長男一七歳、二男一四歳)の五人家族であり、生計を一つにしている模様であるが、具体的な生活費の収入支出については詳らかでない。相手方は○○市役所に勤務する公務員であるが、その収入を昭和四七年一月から一二月までの一年間分についてみると、給料一〇二万七九八〇円、手当四五万六六三六円及び賞与五八万三六四六円、以上合計二〇六万八二六二円となつており、これから所得税八万三八〇〇円、住民税二万一四一〇円及び社会保険料六万〇一七〇円を控除すると、差引手取額は金一九〇万二八八二円(一か月平均一五万八五七三円)となつており、なお、毎月支給されるものとしての給与を昭和四八年二月分についてみると、給料七万六二〇〇円、扶養手当四四〇〇円、調整手当六四四八円、以上合計八万七〇四八円となつており、これから住民税、社会保険料等を控除した差引支給額は金七万八三七一円となつている。資産については詳らかでない。

申立人との離婚後において、相手方は事件本人幸男に時々面会している模様であるが、美津との交流は余りないようである。吹田市内に別居している相手方の母(六〇歳位)は働きに出て一応自己の生活を維持しているが、事件本人両名の世話として学校の送り迎えや放課後の面倒ぐらいはみてやつてもよいと述べている。

三  事件本人両名の監護者について判断する。申立人の意向は、事件本人両名の親権者は現行のとおりでよいが、事件本人幸男の監護責任を今後相手方にもつてもらい、盲学校への送迎を相手方の母にやつてもらえば申立人が働きに出るうえで好都合であるとし、事件本人美津については申立人が監護者となつて養育して行きたいと述べている。これに対し、相手方及びその内妻は事件本人を引取りたいと述べている。

そこで、事件本人両名の幸福をはかるということを中心にして、当事者双方の監護能力をみると、事件本人に対する当事者双方の態度、監護能力としての年齢、住居の条件等については甲乙つけがたいものがあるが、申立人には内職やパートタイムによる就労のため収入が不安定となり勝ちであるとともに事件本人の監護上も時間的に制約されるという問題があり、他方、相手方には相手方の母の協力を得られるという利点はあるものの、事件本人が相手方の家庭環境になじめるかどうか多分に疑問があるといえる。事件本人自身の事情として、本件調査結果から、事件本人美津には相手方に対する関心がうすく申立人のみがすべてであるという状況がみられ、事件本人幸男には相手方に対する関心に動揺がみられるが、相手方の母に対しては親近感を持つており、また、情緒的な面でやや不安定なところがみられる。そして、申立人が事件本人幸男の保護者となつていることをも斟酌して、以上の諸事情を総合して考えると、事件本人両名の親権者を現行のとおり相手方としつつ、申立人を事件本人両名の監護者として指定して当該法律関係を明確にし、その監護養育を担当させることが相当であると認める。なお、事件本人幸男の学校休暇の過し方(その送迎を含めて)については、相手方の母も加わつて当事者間で協議し、事件本人が安心して生活し勉強できるように暖かい配慮と手当(例えば、事件本人の送迎を申立人と相手方またはその母とで分担して行うとか、休暇の一日を相手方が事件本人と一緒に過して父子間の交流をより一層はかるなど)がなされることが切に望まれるのである。

四  養育費について判断する。上記二の認定事実によれば、相手方が事件本人両名を扶養する義務を負うことは明白であり、かつ、その扶養の方法としては上記三の監護者指定の関係からいつて養育費を負担するという方法によることが相当であると認める。ここで相手方の扶養能力を考慮するにあたつて、内妻の生活費は一応相手方が負担するものと考えられるが、内妻と先夫との間の三名の子供の生活費については、相手方が直接その扶養義務を負わない以上、事件本人両名の生活費に優先して相手方がこれを負担するということにはならず、事件本人両名の扶養義務を尽したのちの余力でもつてこれにあてられるべきである。

また、相手方に事件本人両名を扶養するそれ相応の能力があるから、事件本人両名の生活費にまずもつて相手方が負担しなければならず、そうしないでおいて直ちに生活保護にこれを求めるのは許されないのである(生活保護法四条二項)。

つぎに、申立人は昭和四八年九月からは一か月二万円ないし二万五〇〇〇円位の収入をうることができるというのであるが、この金額ではほとんど申立人ひとりの生活を維持するのに精一杯であるといいうるから、事件本人両名の監護養育を担当する申立人については、事件本人の扶養につき金銭的負担を一応考慮しないこととする。

そこで、養育費の金額を算出するために、当事者双方の昭和四八年四月現在における一か月の最低生活費を、厚生省の生活保護基準表による金額によつて比較してみると、次のとおりである。この場合事件本人幸男の分は別居の事情にかんがみ一応除外した。

申立人と事件本人美津の最低生活費

第一類 一八、四八〇円(このうち美津分八、八一〇円)

第二類  八、五五〇円(一人の場合は七、四九〇円)

教育扶助 二、五四〇円(実費+三四〇円)

母子加算 四、三〇〇円

住宅扶助 三、〇〇〇円

計   三六、八七〇円

相手方と内妻の最低生活費

第一類 二一、九九〇円

第二類  八、五五〇円

住宅扶助 三、〇〇〇円(実情不詳につき申立人と同額とみる。)

計   三三、五四〇円

この最低生活費の相互比較、当事者双方の生活の実情、収入及びこれまで相手方が毎月負担してきた金六、〇〇〇円のについてこれが決定された事情並びに申立人の本件養育費の金額についての希望等一切の事情を総合して考慮すると、昭和四八年二月一日以降毎月の養育料として相手方の負担すべき金額は、事件本人美津の分として金一万三〇〇〇円、事件本人幸男の分として金四、〇〇〇円(学校関係の費用は相手方の負担能力からみて現行のとおりとし、ここでは事件本人が申立人のもとで休暇をすごす場合の費用にあてるためのものとする)が相当であると認める。

以上の次第であるから、相手方は申立人に対し、事件本人両名の養育料として、すでに履行期の経過した昭和四八年二月分から同年九月分までの分が合計金一三万六〇〇〇円となるところ、上記のとおり養育料として同期間に合計金四万八〇〇〇円を支払ずみであるから、これを控除したところの残額金八万八〇〇〇円については昭和四八年一〇月三一日までに持参または送金して支払うべきものとし、さらに昭和四八年一〇月分以降については毎月金一万七〇〇〇円(事件本人両名分)あてを毎月末日までに持参または送金して支払うべきである。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 福島敏男)

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